続・ハンナン牛肉偽装  

癒着の構造<6>

「解同タブー」を追及

"そらあ凄い脅迫でしたわ"


 

浅田満容疑者(左下の人物)がたびたび登場する『向野食肉産業百年史』



 この連載でみてきたようなハンナン元会長・浅田満容疑者と政官界の癒着。その裏にはハンナンなどの「同和食肉利権」追及が議会でもマスコミでもタブー視されてきたという事情があります。
 利権の中心に部落解放同盟(「解同」)が位置していたからです。
 ここに『向野食肉産業百年史』(1990年発行)という本があります。本にはハンナングループの拠点、大阪府羽曳野市の地場産業である食肉業発展の歴史が記述されています。浅田容疑者を持ち上げる言葉が随所に登場します。
「(南大阪食肉卸売り商業協同組合の)役員改選がおこなわれ、5代目理事長に浅田満利(満)氏が選出されました。先取の意気に燃えて取り組んできた世紀の大転換を若いエネルギーにかけようとした組合の総意でもあった」
 この本を発行した「向野地域産業と歴史研究会」会長の半田勝巳氏は、食肉業界の幹部であると同時に、羽曳野市の「解同」支部長で市議会議員も務めた人物です。
 「解同」は、同和行政の窓口一本化を主張して、すべての同和行政や同和施策を「解同」が牛耳る「同和促進協議会」などを通じて実施させることを行政に認めさせてきました。

 役所に座りこみ


 羽曳野市でも「解同」いいなりの市政が続いてきました。その流れを批判して1973年に当選したのが日本共産党員市長・津田一郎氏(故人)の市政でした。
 「解同」は、連日、大量動員をかけて自分たちの利権を守ろうと姿勢を攻撃しました。津田氏はそのときのようすを自著『共産党員市長でえらいすんまへん』でこうのべています。
 「そらあ凄(すご)い脅迫でしたわ。毎日、毎日、500人、100人と、市役所の中に座りこみよりました。ずーっと私、監禁されましたがな・・・朝から晩まで飯も食わさしまへん」「あげくのはては、ある朝、家内が(自宅の)入口あけたら、血のこびりついた牛の首がポーンと置いたりますねン」
 それでも津田さんはひるみませんでした。
 今回の牛肉偽装事件の舞台となった同和系の食肉団体、全国同和食肉事業共同組合連合会(全同食)の会長を務める山口公男氏は、「解同」大阪府連副委員長を務めていました。
 全同食は、当初、国産牛肉買い取り事業の窓口となる事業主体には入っていませんでした。しかし、浅田容疑者が農水省畜産部長を東京・銀座の高級肉料理店で接待するなどして要求するなかで、参入が認められたのです。


『向野食肉産業百年史』



 
 長期間放置され


 農水省食肉部門で、「解同」系食肉業者を相手にしていた元職員は「集団で押しかけて、自分たちの要求を通すために大声を出すんです。机はバンバンたたくし、本当に怖かった」と体験を語ります。元職員は、同和系業者にさわがれると、担当者の管理能力が問われるため、無理難題でも聞いてしまう官僚が多いといいます。マスコミも怖がって「解同」批判はやらず、日本共産党と「しんぶん赤旗」をのぞけば、誰も口をつぐむという異常事態が長期間放置されてきたのです。
 浅田容疑者を描いた著書『食肉の帝王』の著者溝口敦氏はこう指摘します。
 「逮捕された今になってやっとマスコミも書き始めたが、それでもなお『解同』や同和問題をタブー視する傾向は続いている。この点では日本共産党とその機関紙『赤旗』の役割は非常に大きかった。」

(つづく)










2004年6月8日付「しんぶん赤旗」より
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日本共産党大阪府議会議員団