汚された水と緑 検証 府の浪費型開発A

府事業化に固執 ゼネコン救う公費投入

 箕面の滝を“人工の滝”にした「箕面トンネル」と「水と緑の健康都市(箕面森町)」両事業。その開発には、当初から疑惑がつきまとっていました。発端は、1970年代にさかのぼります。

 当時は、60年代から続く高度経済成長と、田中角栄の「日本列島改造論」の流れのなか、全国的に大型開発が進められていました。箕面では山を削って宅地を造成し、その新住宅に飲み水を供用するためのダム(余野川ダム)建設が計画されました。

140億円余で用地を購入

 70年代はじめ、横浜市のゼネコン「奈良建設」が、ダム周辺の用地350ヘクタールを105億円で買収しました。82年、府総合計画で「水と緑」の街づくりが位置付けられます。84年、住宅都市整備公団が事業主体となることを想定して、大阪府・箕面市・建設省・同公団が共同で調査検討を始めました。

 一方、80年代末になると、奈良建設は資金繰りに困るようになります。国の指導もあり、売却を計画。窮状を救ったのが大阪府でした。

 89年7月7日午前9時30分、知事応接室で「水と緑の健康都市」の開発方針を決める首脳部会議が開かれました。当時の岸昌知事をはじめ、中川和雄副知事(のち府知事)、総務・企画調整・土木・建築・企業の各部局長らが出席。奈良建設から用地を購入し、企業局が基盤整備をする方針を決める会議でした。

 意外にもその席で、岸知事は企業局による用地購入に難色を示します。「企業局でやる意義はあるのか」「住宅都市整備公団のしりぬぐいはおかしい。積極的な意義が感じられない」「兵庫県のために(※ダムの水ほ兵庫県が9割引き取る計画)企業局が出るのはおかしい。あまりにも便宜主義的」…。

 すると中川副知事が、「今の段階では(住宅供給)公社事業としてやることにして企業局がかんだほうが幅広い絵がかける。とりあえず取得したほうがよい」「公社も地域開発に乗り出すべき時期だ」などと用地購入を主張。建築部長も「宅地需要はあり、事業採算の見込めるものであれば、やっていきたい」と発言し、岸知事も了解。

 そして90年、府住宅供給公社が奈良建設から140億円余で約154ヘクタールの用地を購入しました。中川氏が知事に就任した後の91年には、9月議会で府企業局の事業とされました。

奈良建設への職員天下りも

 日本共産党の浅野弘樹府議(当時)は首脳部会議の議事録を入手し、93年9月の府議会で、中川知事に「ゼネコンの窮状救済ともみられる公的資金の出動がなぜ必要なのか」と迫りました。

 中川知事は明確な理由を示せず、「土地転がしを未然に防ぐため」と繰り返すぱかりでした。それどころか、副知事時代に奈良建設の会長と会っていたことを認めました。さらに、浅野府議が府幹部職員の同社への天下りを指摘すると「ご本人の意思により当該会社に就職した」と認めました。

(つづく)


2007年3月16日付「しんぶん赤旗」より